2005年04月16日、孤高のフォークシンガーと呼ばれていた、高田渡さんが、入院先の病院で亡くなりました。以前からアルコールに依存した状態が続いていたようで、最後まで健康状態が思わしくなかったようです。享年56歳。人生80年とも言われる現代において、早すぎる死だったと思います。
実は自分は高田渡さんについて、今まで詳しくは知りませんでした。リアルタイムで聴いていたような世代は、随分と上の層になってしまうので、致し方ない部分もあるとは思いますが、知るきっかけとなったのは、辻香織さんという、インディーズ時代から好きだったアコギ弾き語り系シンガーが、彼の代表作「コーヒーブルース」をカバーしていたという理由からです。それがきっかけで高田渡さんの名前だけは知ることになりました。今までは原曲を全く知らない状態で、カバー曲の方を聴いていたのですが、今回、亡くなってしまったというニュースを耳にして、当時のオリジナル音源が聴きたくなってしまいました。そんな経緯から「コーヒーブルース」が収録されているアルバム『ごあいさつ』を購入してみました。(発売当初はLP盤(レコード)でしたが、その後、再マスタリングされたものが、CDとしても発売されています。)
聴いてみた感想。昭和の世論を切り取ったような独創的な詞に、フォークの真髄とも言えるような曲を付けて歌うという彼のスタイルは、30年以上の時を経た現代においても衝撃的に思えてきます。このアルバムにはっぴいえんどの細野晴臣、鈴木茂、松本隆といった面子がゲストミュージシャンとして参加しており、サウンド面からも非常に魅力的な作品に仕上がっているように感じました。
1960年代の初頭から東京を中心に、遠藤賢司、南正人と共にアマチュアとして活動。その後、京都に活動の拠点を移し、高石ともや、岡林信康、中川五郎、早川義夫、加川良、岩井宏と共に1960年代後半のフォークムーブメントを担った後、1969年に念願のメジャーデビューしました。
1970年代に入ると、東京に拠点を移し、シバ、友部正人、いとうたかお、なぎら健壱、佐藤GWAN博、林ヒロシ、林亭らを率いて、『吉祥寺フォーク』の第一人者的な存在となります。1970年代に勢力的な活動を行った後に、1980年代、1990年代にそれぞれアルバムを一枚ずつリリース。この間はリリースが少なかったものの、ライブ活動に関しては積極的に行っていたようです。
2000年代に入ると2004年に彼の日常を追ったドキュメント映画『タカダワタル的』が発表され、注目を集めました。彼の自伝的な内容となったこの映画、これを機に第二の音楽人生を送るであろうと期待された矢先の死であった為に、非常に残念でなりません。
日本のフォークの元祖というと、さだまさし、吉田拓郎などの王道系四畳半フォークの方を連想される人が多いと思いますが、それらのアーティストとは一線を画した社会派フォークの原点を高田渡の中に見たような気がしました。
実際に音を聴いたことで、他の作品も聴いてみたくなってしまったのは事実です。ライブを永遠に見ることが出来ないのは残念なのですが、これからも彼の残してくれた作品を堪能しようと思います。心からご冥福をお祈りいたします。
※2005年06月17日(金)公開の記事に、加筆修正致しました。
ボーカル:17
メロディ:16
歌詞:16
アレンジ:15
個性:16
TOTAL:80