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長い歴史のある、NHK紅白歌合戦。年末の風物詩でもある名物番組ですが、長寿番組であるが故のエピソードが数多くあります。そこで今回の記事では、歌詞にまつわるエピソードを紹介したいと思います。

NHKは国営放送という性質上、特定の商品名を電波に乗せられないということが原則的なルールです。その為にトラブルになった例が何件もありました。過去に起きた事例を見る限り、やりすぎ感がぬぐえないという言い方が出来なくもありませんが、時代背景的に仕方なかったのかもしれません。現在はNHKのバラエティ化が進み、規制は昔程ではなくなりましたし、随分と緩くなった気がします。

かぐや姫が1973年に「神田川」で、出場を打診された際は、「二十四色のクレパス」という商品名が引っ掛かりました。公共放送では商品名は放送できず、「クレヨンと歌詞を代えて歌ってください」と、NHK側は出演交渉したそうですが、南こうせつ「イヤです!」と一蹴されたというエピソード。この曲は暫くお蔵入りでしたが、紅白に登場したのは、平成になってからのことで、その時は「クレパス」の歌詞のまま歌われました。

自分の名前が出てくるのも、宣伝になるとの理由でNGでした。松本伊代「センチメンタル・ジャーニー」(1981)は、「伊代はまだ16だから」の歌詞でアウト。フルネームではなくて、下の名前だけでもダメなのですね。

1978年にもエピソードが残っています。庄野真代「飛んでイスタンブール」は、他のNHKの歌番組では「そんなジタンの空箱」という歌詞を、「そんな煙草の空箱」と置き換えて歌われていました。ところが紅白歌合戦の本番では、突然、解禁されます。実はこれには後述の理由がありました。

もう一人、時を同じくして、1978年に紅白歌合戦で商品名を歌ったのが、山口百恵さん。紅白歌合戦の歌詞のエピソードになると、必ず出てくる話題と言っても良いのは、「プレイバック Part2」のフレーズ、『真っ赤なポルシェ』を『真っ赤な車』と歌詞を代えて歌わされたというエピソード。実はこれは大きな過りになります。実は紅白歌合戦の本番では、『ポルシェ』のままで歌われているのです。

こういった噂が流れたのは、下記のような出来事があったからです。当初は庄野真代さんと同じで、山口百恵さんも紅白以外のNHKの歌番組では、『ポルシェ』ではなく『車』と歌っていました。ただ同年に社会現象にもなったピンクレディーが紅白への出場を辞退したことで、固有名詞に関する規制を甘くしてでも、他のスターには確実に出場してもらいたいという、NHK側が折れた形になります。併せて、それまで大御所の演歌歌手しか任されることがなかったトリですが、若干19歳の山口百恵さんを起用。思い切った作戦に出ることになりました。

aikoさんも過去に「ボーイフレンド」を歌おうとした際、歌詞中に出てくる、『テトラポッド』が、NGワードということで、歌詞を変えるか、楽曲変更を要請されたみたいです。(『消波ブロック』というのが公称であって、『テトラポッド』というのは、商品名になってしまうとのことです。ただ一般的には、『テトラポッド』という名称の方が、有名だったりします。これが商品名だと気が付かない人も多いのではないでしょうか。)

ただその時は、『テトラポッド』は個人で買うものではないし、放送されたからと言って、広告効果も殆どないだろうというNHK側の判断から、解禁されたようですけどね。(その後、歌詞を変えることなく無事にオンエアされ、aikoさんは株式会社不動テトラから、記念品を貰ったそうです。)

NHKが国営放送である以上、最低限、気を使う部分なのかもしれませんが、インターネットが普及し、個人レベルでの宣伝が可能になった、現在の社会においては、昔ほど神経質になる必要はないと思いますけどね。歴史が長い番組ともなると、色々なエピソードが隠れているものです。

※2011年12月10日(土)公開の記事に、加筆修正致しました。

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